答辞

この文章は、私が執筆し、京都市立芸術大学の令和4年度美術学部・音楽学部卒業式並びに大学院美術研究科・音楽研究科学位記授与式にて、修了生代表によって読み上げられた答辞です。個人的に上手く書けたと思っていたところに、ありがたいことに多少の反響があったため、ここで公開することにしました。当日に読み上げられたものと若干バージョンが違いますが、テキストとしてはこちらが完全版です。


答辞

指先が燃えるようにかじかむ沓掛の冬もついに和らぎ、まともな肌寒さを感じられる季節となりました。
本日はこのような式を迎えられたことを修了生の一人として喜ばしく思います。ご臨席賜りました皆様、式の挙行にご尽力くださった皆様に心より御礼申し上げます。
 
この数年間の生活は、人様にお見せできるような小綺麗なものではありませんでした。
どんなに綺麗なものを作っている時でも、その内実はというと、日の沈む頃に目を覚まし、粗末な飯を喰らい、だんだんと芳しさを昂ぶらせていく椅子の上で、延々とループされる作業用BGMを聴きながら、もうすでに飽きてしまった作業を懸命にすすめるという、ひどく孤独な時間でした。
 
日々のアルバイトを横目に奨学金返済額は嵩み、計画は常に絡まり、着手は遅れ、作業は常に停滞しました。ぼやき、泣き喚き、のたうちまわり、やっとの思いで出来上がったものはいつも、どこか他人のようなさっぱりとした面持ちをしていました。そして、そんな日に見る朝焼けや、誰かの制作室の明かりは、この世界で最も美しいもののように思われるのでした。
 
思えば、いつも、どこかで、誰かの制作室の明かりは灯っていました。
私が訪ねると、あなたはいつも話を聞いてくれました。私が話し終えると、今度はあなたが口を開き、私があなたの話を聞きました。
 
差異と敬意を前提としたゆるやかな連帯について、ねぎらいと歓待について、ひとつの物事に向ける執念や、誰から何を言われようと決して譲れないことについて、約束を守ることについて、それらすべての尊さについて。どれも、あなたとの会話の中で見つけたものです。
あの時間がいかに尊く稀有であったかを、私は忘れないでしょう。
 
最後になりましたが、いつでも敬意を忘れることなく対等に話をしてくれた学友諸氏をはじめ、教職員の皆様、用務員・警備員の皆様、お力添えをいただいたすべての方に、修了生の一人として心より御礼申し上げます。
皆様の末永いご健康を祈り、ここに答辞といたします。みなさん、どうぞお元気で。

令和5年3月23日
美術研究科 絵画専攻
寺本遥/清水花菜/修了生代表 榎本貫之介