写真日記から始まる考え事

2025.05.17

インスタグラムで写真日記をずっとしている

 

投稿は千件をこえた、毎日コツコツと
物事をするのが苦手な私にしては続いたほうだとおもう。
写真はいつだってそばにいてくれるけれど遠い

 

踏み込んでこないものが好きだ

 

ある一定のラインからこちらに踏み込んでこないもの
だから踏み込んでくる人を信頼する。

 

ゴミに目が止まる
正確には思い出したゴミに

 

だれにも食べられなかった部分の野菜や
開けられたパッケージ
汚物のような汁

 

がビニール越しに見える

 

わたしはある人との約束を何も遂行しないまま
たちすくむように動けないままでいる

 

今その人は東京にいる。

 

誰かの文字を辿ったような書き方をしていないか
嫌な気持ちになる。

 

耳障りのいい文字を打っては熱を上げていた私を
恥ずかしいと思う。

 

敬語になると関西弁が薄くなるぐらい嫌な事だ。

 

始まりが遅いことばかり悔いていて、一向に始めない自分が悪い。

 

中高大で愛読していた本は全て燃やすように捨てたい、
が金がないので売る。

 

何もかも白々しくて東京という街の空気は私には薄い

 

恋をしなさいと言われた助言はまだ達成できないでいる

 

親に愛された自覚がほとんどないことがこんなにも

ずっと自分を苦しめ続けるとは思わなかった。

 

涙が出て鼻水を吸い込む時の味は昔から変わらない

あの人(たち)はどう乗り越えて抱えて生きてきたんだろうとおもう

 

自覚のなさがふるう自分への暴力を止めることができない

それは表面に現れるものでないから(見えないものでなくちゃダメだった。)

よく近づいても気づかれないものだった。

 

苦しさと向き合う度胸が足りなかったのだと思う。

今も昔も逃げ回ってばかりいる。

 

どうにかしたい

写真集にすれば変わるかなと思った。

 

苦しさをごまかして冷静そうに見えてる瞳は何も映さない

苦しさに向き合わないといけない